
アケボノゾウの化石
展示コーナー
アケボノゾウの発掘
日本にもゾウがいたの?
日本で進化したアケボノゾウ
アケボノゾウは「おじさん」か「いとこ」?
アケボノゾウってどんなゾウ?
どうして多賀町でアケボノゾウが出てくるの?
アケボノゾウの組み立てられた全身骨格はこちら
アケボノゾウの化石のコーナーです
展示室では,アケボノゾウの全身骨格化石の実物を展示しています.(タイトル右の写真)
また,瀬戸内海産のアケボノゾウ頭蓋骨化石の複製や,手で動かしてみることのできるアケボノゾウの前肢の骨格なども展示しています.
なお,エントランスホールには,この多賀町産のアケボノゾウ化石の複製を組み立てた骨格や,生体復元模型,産出状況模型があります.
アケボノゾウの発掘
1993年2月,多賀町四手で行われていた造成工事の際,現場で作業していた建設会社の方たちが,古琵琶湖層の粘土の中から大きな動物の骨らしきもの(後でアケボノゾウの腰の骨と判明)を見つけました.それをきっかけにして,この付近の地層を前々から調査していた小学校や高校の先生たちが中心となって,何回も通って発掘するうちに,アケボノゾウの骨が一頭分埋っていることが分かってきました.そこで,3月19日より多賀町教育委員会と琵琶湖博物館の合同で,学校の先生方も加え,本格的な発掘が始まりました.その結果,4月3日までかかって見事に1頭分の象化石がほりあげられました.
日本にもゾウがいたの?
ゾウの仲間は,現在はアフリカゾウ・アジアゾウの2種類が熱帯の地域にいるだけですが,過去にはたくさんの種類があらわれ,世界の各地から160種類もの化石が見つかっています.
日本では,そのなかの約10種類ものゾウが入れかわり立ち代わりあらわれます. これは,主には,日本列島と大陸が陸続きになるたびに,新しいゾウが日本に入ってきたためだと考えられます.
日本で進化したアケボノゾウ
アケボノゾウは,その中で約250万年前から100万年前のゾウですが,他のゾウと違って化石が日本だけから見つかっていて大陸では出てきません,アケボノゾウは,日本で独自に進化して生まれたゾウだということになります,アケボノゾウのがあらわれる前の日本には,約450万年前に中国からわたってきたシンシュウゾウと呼ばれている巨大な(肩までの高さ約4m)ゾウがいました,アケボノゾウは,このシンシュウゾウを祖先として進化し,生まれてきたと考えられています.
アケボノゾウは現在のゾウに対して「おじさん」か「いとこ」?
現在のアジアゾウ,アフリカゾウは,化石で出てくるマンモスゾウやナウマンゾウなどと共に「ゾウ亜科」という現代型のゾウのグループを作っていますが,アケボノゾウやシンシュウゾウは,「ズテゴドン科」という別のグループに属します.ステゴドン科は,約2000万年前から,南〜東アジアを中心に栄え,30種類ほどの種類が生まれました.ゾウ亜科より古くはじまった系統で,現在は絶滅していますが,ステゴドン科は,ゾウ亜科と同じぐらい繁栄したゾウの系統の中での「成功者」といえます.「ゾウ亜科」のメンバーどうしを「兄弟」にたとえると,アケボノゾウは,「おじさん」か「いとこ」のような関係になります.
アケボノゾウってどんなゾウ?
多賀町で見つかったアケボノゾウの骨格の化石は,全国でも最もよくそろっていたので,アケボノゾウの体の形がよく分かってきました(右の写真).アケボノゾウは,前あしの部分の背中の高さが約2mで,小型のゾウでした.体の割には大きなキバ(ゾウのキバは犬歯ではなく切歯です)をもち,他のゾウと比べるとやや胴長短足でした.
どうして多賀町でアケボノゾウの化石が出てくるの?
アケボノゾウは多賀町だけにいたわけではありません,関東より西の各地から化石が出てきます.しかし,多賀町のように一頭分の骨がそろって出てくることはまれです.
では,どうして,多賀町でアケボノゾウの化石が保存されたのでしょうか?
それを考えるためには,当時の環境を知る必要があります.多賀町のアケボノゾウが見つかった地層は,粘土の地層です.この粘土は,昔の琵琶湖にたまったものです.
琵琶湖は,現在よりずっと南の方ではじまり,北へ北へと移動して現在の位置に来ました. 「琵琶湖」といっても,いつも現在のびわ湖のように深く水をたたえた湖であったわけではありません.水がたまっているかどうかは別として,地面の「へこみ」が移動してきた.という意味です.180万年前にはちょうど多賀町のあたりに琵琶湖(「へこみ」という意味での琵琶湖です)の北のはじがありました.
そして,川が運ぶ土砂で,そのへこみが埋め立てられ,湿地や池や沼の多い平原になっていたと考えられます.そして,川がたびたび洪水をおこして流路を変えたり,広い範囲が水びたしになって泥や砂がたまったりするような場所だったのでしょう.
そういう場所にはゾウが水を飲んだり浴びたりするために集まる事が多く,そこで死ぬゾウも多かったことでしょう.そこで死んだ1頭のゾウの遺体が,その後に起こった洪水で,川が運んだ粘土に埋まったために化石になったと考えられています.
一般に,陸上の動物の化石が残るためには,そこにたくさんの動物がいることと,動物が死んだ後急速に土砂に埋ることが必要だといわれています.当時の多賀町のこの場所は,「琵琶湖」の一部だったせいで,ちょうどその条件を満たしている場所だったということになります.
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